BurgundyBlackの独り言

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映画:ホテル・ムンバイ

gaga.ne.jp

「何か見たいな~」っと、思ってアマゾンを漁ってて見つけた。

 

ホテル・ムンバイ

 

「あ、これにしよー」となんも考えずに見たけど、大大大大正解だった(*✧□✧*)

 

2008年インドのムンバイで起きたテロの実話に基づいた作品。

恥ずかしながら私はこの事件のことはほぼ記憶にない。そういえば、あったような気がする・・・という程度。

でも、映画を見て衝撃を受けた。

 

悲しいかな。

現在も世界中のあちこちでテロが起きている。

政治、宗教、人種・・・いろいろ理由はあって、複雑に絡み合っているから対処するにも一筋縄ではいかない。

 

このムンバイで起きたテロは、宗教色が強かったようだ。

もぅ、無差別も無差別。

なんなの?思うほど、簡単に人を殺していく。

あまりにも簡単に殺していくから、見ながらぽかーん( ゚д゚)としちゃった。

ショックとか怖いとか、そういう感情が湧いてこない。現実離れしすぎちゃってて。

 

約2時間の映画だが、あっという間だった。

舞台はムンバイにある超高級ホテル、タージマハル・ホテル。

ここが、テロリストによって占拠される。客は500人以上。テロリストたちは、一部屋一部屋確認して確実に殺していく。従業員は客を守ろうと必死になる。

料理長の機転で、会員制チェンバーに避難するよう皆を誘導する。そこは会員制用ということもあり、入り口が見つけにくいのだ。

なんとかチェンバーにたどり着くが・・・

 

私にとって印象的なシーンが2つある。

1つは、デヴ・パテル演じるメインキャラクター、ホテルの従業員アルジュンに対し、白人女性が「アルジュンのターバンと髭が怖い」と言うシーン。

誰がどんな理由でテロを起こしているか分からない状態だが、その女性はアルジュンに恐怖を感じる。

そのことを上司から告げられ、いっとき部屋の奥にいろと言われる。

だが、そのときアルジュンはあえてその女性に話しかけ、自分の愛する妻、娘の写真を見せる。

彼はシーク教ヒンドゥー教から派生した宗教の一つ)で、パグリーといわれるターバンを巻いている。パグリーは神聖なもので、高潔さと勇気の象徴なのだと説明する。

外して外出することは一族の恥になるとも。

だが、ホテルにいる限り、あなたはお客様で自分は従業員。お客様が気になるなら外します、と申し出る。

彼の紳士的な態度と説明で、その女性はちゃんと理解し、外す必要はないと言う。ただ、怖かったのだと。

 

人が人を攻撃するとき、「相手のことを知らないから」「よく分からないから」という理由はよくある。分からないと不安になる。だから攻撃する。

宗教となると、その傾向が一段と強くなると思う。

特に日本は、世界的に見ても宗教と社会が割とうまく共存できている国だと思う。普通に神頼みはするし、結婚式はチャペル、葬式は寺、趣味でヨガなんてことは、ざらだ。

でも、海外では自分が信仰する宗教が絶対!って考えの人は多い。他の宗教を知ろうとしない人も多いし、むしろ「異教徒だ!」と迫害さえしてしまう。

攻撃に発展しない理由がない。

たとえ、ちゃんと説明したとしても、この映画の女性みたいに理解してくれるとは限らない。

このワンシーンは、”なぜ争いが起こるか”を一番シンプルに表現したシーンだと思う。

 

もう1つは、隠れていたチェンバーから出ていく客たちのシーンがある。出ていく客に向かって料理長が「無事をお祈りします」と言う。それを言われた客の一人がこう反応する。

「祈るな。祈りがすべての元凶だ」

これはとても重たいセリフだと思った。

だって、「祈る」こと自体は何も悪くない。

みんな祈るじゃん。

キリスト教も祈ってばっかじゃん。”祈ったら許される”ぐらい言うじゃん。仏教はお経を唱えるけど、あれも祈りみたいなものじゃない?心を穏やかにするために読むことだってあるんでしょ?

ここでも、「だからお前んとこの宗教わ(σ`д′)σ」感が出ている。

理解されないって辛いよね。だいたいの人は、いわゆる”いい人”と呼ばれる人たちであるはずなのに、一部のヒャッハー(*Φ皿Φ*)してる奴らのせいで、あらぬ誤解が生まれ、疑いをかけらてしまっている。

かく言う私も、宗教には疎いから、シーク教と言われても、は(⊙_⊙)?だし、他の宗教との違いなんて知らないし、外見に特徴があっても見分けなんてつかん。なにより、特定の宗教を推しているというわけでもないから、人がどんな宗教だろうが「ま、その人がよけりゃ、好きに推してもらって構わんのじゃないですか」ってタイプ。

だから、宗教絡みのテロや事件が起こると、「人の好みにいちいち口出さず、仲良くできんもんかね・・・」と思っちゃう。

だって、自分が「パスタの王様はナポリタンだ」と主張しても、人が「いいや。カルボナーラやし!」って反論したら、「お前がナポリタンを王様と認めるまで食わせ続けてやる!」なんてこと、しないっしょ。最悪、最後まで相いれなかったとしても、「もう話してもムダだ。関わらないことにしよう」ってな感じにならない? 関わらなきゃいいのよ。ほっといてやれよ。

 

まぁ、宗教となるとそれまでの歴史ってのがあるから、簡単じゃーないし、政治も絡むこともあるから、”みんなと仲良くやる”ってのはもぅ無理なのかもしれないね。

 

だから、この映画を見てても、「あー、ダメなのかなぁ・・・」っていう、なんとも言えない寂しさがこみ上げてきてた。

見終わって「こんな悲惨なことが起きてたのかಠ_ಠ」と思ったら、最後、エンドロールに入る直前、テロップが出る。

それを読んだとき、それまで出なかった涙が一気に!!!

涙腺崩壊(;´༎ຶД༎ຶ`)

と、同時に、怒り爆発(╯‵□′)╯~□■

号泣しながらF************************************ckと叫びながら、”ムンバイ テロ”で検索かけまくったよね(笑)

 

今回は吹替で見たけど、字幕版でも再度見ようと思う。

今度は最初から”怒り”が超主張してくることが予想されるが ̄へ ̄